でじとなにっき

生活メモ帳、最近がんばってるDuolingoのメモなど。

突然思い出したはなし(結構ヘヴィ)。

どうでもいい昔話です。

わたしの死んだ母には、親友と呼べる友だちがいました。
わたしが小さい頃(母の生前)は、よく泊りがけで遊びに来ました。
妹が生まれた時にも、おさんどんをしに来てくれました。
事情があって、母は急遽父の実家に身を寄せることになっていました。
おさんどんに来てくれた母の親友は、父方の祖母に気に入られ
祖母の紹介で結婚したので後々まで付き合いが発生していました。
なお、親友さんは子供を持つことはありませんでした。

母の死後、母の命日前後に毎年墓参りに来てくれていました。
(電車だと2hかかる距離です)
当時の我が家は、継母との折り合いが悪かったので
かなり荒れていて、母の親友が我が家を訪ねて来れる雰囲気ではありませんでした。
母の親友は、「子どもたちどうしてるかしら?」と、気になり
我が家の向かいにあった児童公園の電柱の陰から(明子姉ちゃんみたいに・・・)
家から子供が出てくるのを期待してじっと見ていたそうです。
わたしの母方の親戚は、
「親友さんは本当にいい人、いつかお礼を言いなさいよ」
と、言うので、いつかお礼をしなくてはいけない人なんだと思っていました。

時は流れて、わたしが就職したあと、
ようやく時間も金銭面も自由になって
母の親友さんに連絡を取ったのです。
すごく喜んでいるので、わたしが連絡してお礼を言っているのは
世間的に正しくていいこと何だと思いました。

その後、母の命日付近にいっているお墓参りに一緒に行ってました。
その時に、「母の親友が寄りたいところがあるの」とのことで
一緒に行った家は、母の親友の友だちのお家で、
その日は、引っ越しの搬入日で、今まさに片付けをしてる最中でした。
片付け中にも関わらず、急遽コーヒーメーカーをだして
コーヒーをごちそうしてくれました。

その、コーヒーをごちそうしてくれた奥様、
その数カ月後におなくなりになったのです。
(ガンだったはず)
葬儀に一緒にいきましょうと誘われて
たった1回コーヒーをごちそうになった人のために葬式に出席しました。
(当然香典も包んだのですが・・・w)
その方には、中学生の娘と小学生の息子がいて
とても気の毒に思いました。

母の親友もその子どもたちを気の毒に思い、
月に1回くらいのペースで、着る物やおかしを送っていたそうです。
すると、子どもたちの父親から手紙が来て、
「もう、子どもたちへの気遣いは結構です」
と、書いてあったそうです。
母の親友は、それ以降贈り物をするのをやめたそうですが、
「それにしても、良かれと思ってやっているのにひどい言われようでしょ?」
と、同意を求めたので、深く考えずに同意をして
同意をしているうちに、子どもの父親が冷血なんだと刷り込まれて行きました。

更に時が流れて、
今は母の親友さんとは連絡をとってなくて(揉めたことがある)
どうしているのか全くわからないのですが、
自分もいい加減いい年になったんで
昔のことを自分なりの解釈ができるようになりました。

急遽、婚家で出産することになった時に、
友だちがおさんどんとはいえ泊りがけでやってくるのは、
いろいろ気を使うんでやめてほしいな。

毎年墓参りしているのは自由だけど
特に頼んでないので、感謝しなくちゃいけないことなの?
まして、家の前で見張っていたっていうのは、
もはや、ストーカー行為。

引っ越しの搬入日に遊びにいくなんて、
常識外れ。
よく分からず、ついて行ってしまったけど
わたしは切り上げて帰るべきでしたね。

1回しか会ったことのない人の葬儀に出るように言うのもどうなの?
「葬式で近所までいくので、一緒に食事でもしませんか?」
くらいが、よい距離感では?

母親を失った子供は気の毒かもしれないけど、
毎月贈り物は多すぎよね。
「もう結構です」というお手紙はごもっとも。
わたしが父親の立場だったら、
やっぱりお断りするだろうなぁ。

彼女、自分の子どものいない子ども好きだったので、
よかれと思ってやることが、度が過ぎていていたんだなぁ。

まぁ、時代背景や、当時のコンプライアンスの違いなんかもあるんで
仕方がない部分もあるんだろうけど・・・

 

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