でじとなにっき

生活メモ帳、最近がんばってるDuolingoのメモなど。

崖から転落した話

お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」

 

お題と、お題に沿ったブログを拝見していたら思い出しました。

 

わたしが5歳の頃です。
当時わたしが通っていた保育園は、厚生省の枠に囚われたくないという強い意志の元、無認可で運営をしている保育園でした。
のびのびした保育をモットーにしていたので、園の外にでて川へ行ったり山を登ったりしていました。運動の苦手なわたしにとってそれらは苦痛なこともありました。

 

ある時、山に行ったのですが、前の日から雨がふっていて道がぬかるんでいたのです。
人一人がやっと通れる道を歩いて進みます。その途中に、道が狭まっているところがありました。道が狭まっているというより道路が半崩壊していたのです。大人なら大股で歩けば半崩壊しているところを超えられるけど、子供の歩幅では無理でした。
先生が手を手を取って一人ずつジャンプの手伝いをしてくれたのです。
そして、わたしの番がやってきたのですが、わたしは手をつなぐのが嫌いでした。(今でも、嫌いです)先生の手を繋がずにジャンプしたところ、安全な場所に着地できず崖下に落ちてしまったのです。
上をみても人は見えず、誰の声もしなくて、おまけに雨も降り始めました。「きっとわたしは見捨てられたんだ」と、思って悲しくなって大声で泣きました。「助けてー!助けてー!」と、繰り返して泣いていました。正直この時、自分はここで死ぬんだと思って泣いていました。

流石に見捨てられたわけじゃなくて、別ルートをまわって先生が下りてきて、別ルートで合流できたのですが、その別ルートっていうのも、断崖絶壁のような斜面を這い上がった記憶があります。這い上がったその場所には、保育園の他の子供達が立っていて、怒った顔で見下ろしていました。

泥だらけで保育園に戻り、先生のお嬢さんの服を着せられて過ごした記憶があります。わたしより1歳年下のお嬢さんがいたのです。
ようやく落ち着いた頃、「手をつないでと言ったのに、繋がなかったオマエが悪い」と、叱られ、「オマエが落ちたせいで遊ぶ時間が減った」と糾弾され、「崖下で『助けてー』って泣いていた」と嗤われ、いつまでもいつまでも悲しい気持ちでした。

 

今思い返すと、半崩壊している道を飛び越えさせることにどんな意義があったのかしら?「道が崩れているので引き返しましょう」というのが正解なのでは? というより、5歳児に雨上がりの悪い足場の山道を歩かせることにも意義を感じません。

幸い大きな怪我はなかったので、そのまま有耶無耶になったけど、事故として取り上げられたら、「だから、無認可は!」と、叩かれていたんだろうなぁ。

崖下でどろどろになって、見捨てられたと思ったことは、ちょっとしたトラウマとして残っています。

Thanks to reading my blog.